2009/02/24

第1条 聖書

12箇条の信仰告白について・・・第1条
私たち自分が何者なのかということ、つまりアイデンティティーを保って生きます。そうした姿勢で生きることで自分らしく生き、また自分自身を成長させる力となるものです。そのことは、教会についても言えることで、教会も自分自身のアイデンティティーを持つことで、成長を持続することができるのです。そこでしばらく日本福音自由教会12箇条について連載したいと思います。12箇条の第1条は聖書について書かれています。
「旧新約聖書を原典において何ら誤りなき、霊感された神の言(ことば)であり、人間の救いについて神のみこころを完全に啓示し、すべてのキリスト者の信仰と生活の神的、究極の権威であることを信じる。」
これは12箇条全体の土台であり、私たちの信仰の前提となっています。19世紀、20世紀初頭、北欧・米国において、福音自由教会のもとになる群れが形成されていった時に、他方では、聖書が神の言葉であることを否定する神学が興っていました。自由主義神学といいます。このような風潮に対して、福音自由の父祖たちは、否、と明確に唱えました。聖書が神の言葉であることを否定した時に、そもそも、すべての救いの業と教理が、否定されてしまうからです。さらにまた、彼らの聖書の言葉を信じた時の救いの体験から、聖書の言葉が神の言葉であることは、否定できない真理でした。また、「聖書は神の言葉」という信仰を持って生活していく時に、事実、祝福された生活、人間関係、社会を形成することができたのです。
「原典において何ら誤りなき」とあります。原典とは、初めに筆記された聖書ということです。それは、実際には失われていますが、現代では99.9パーセント復元されています。日本語の聖書は、その翻訳です。翻訳といっても、決して力がないものではなく、使徒の働き2章のペンテコステの出来事の時に、人々が他国の言葉で「神の大きなみわざを語(った)」ように、聖書は初めから翻訳されるべく定められていました。