2009/02/24

第3条 イエス・キリストについて_その1

12箇条の信仰告白について・・・第3条 イエス・キリストについて
私たちは、自分の信仰がどのような信仰なのかについて、大まかなアウトラインを描いている必要があります。それが福音自由教会の12箇条信仰告白です。第3条は、イエス・キリストについてです。
「イエス・キリストは聖霊によってみごもり、処女マリヤより誕生された真の神であり、また真の人であること、又聖書に示すとおり、十字架上にわたしたちの罪の犠牲として死なれたことを信じる。そして主は死より肉体を持って復活し、天にのぼり、今は高きところにいます大能者の右に座している大祭司及び助け主であることを信じる」
信徒の手引きでは、この告白を5つのポイントにまとめています。それは、①受肉、②贖罪、③復活、④昇天、⑤執成(とりなし)です。今回は特に①受肉について述べたいと思います。
イエス・キリストが聖霊によってマリヤから生まれたということを受肉といいます。イエスの中で、永遠の神と有限な人間が、どのように併存できたか、私たちの頭でいくら考えても分かりません。それはまさに奇跡です。
しかしながら、ここに、私たちは神の本質を目撃できます。私たちは、神について、遠くの存在、恐れるべき存在として考えがちですが、その本性は、それは測り知れない「恵みとまこと」(ヨハネ1:14)であり、「愛」(Ⅰヨハネ4:9)であるということです。この奇跡はクリスマスに起こりましたが、その誕生を目撃した者たちは赤子イエスに永遠の聖さを見いだしました。彼は人として33年の生涯を送り、最後に十字架で死にましたが、その姿もまた、百人隊長をして、「この方はまことに神の子であった」と感嘆させました。徹底して、人として生涯が、かえって神としての栄光を現しました。「わたしを見た者は、父を見たのです」ヨハネ14:9
さらにまた、この奇跡は、神と人との和解と贖罪に必須でした。神と人の間には、罪ゆえに、断絶/敵対がありました。その断絶/敵対を埋めるために、イエス・キリストは、仲介者/贖罪者となったのです。神であると同時に、人である方だけが、この役割を担うことが可能です。このようにして、私たちはキリストゆえに義/神の子とされ、「キリストの貧しさによって富む者」Ⅱコリント8:9となったのです。