2009/02/24

第3条 イエス・キリストについて その2

 12箇条の信仰告白について・・・第3条 イエス・キリストについて/後半
今回は、福音自由教会の12箇条、第3条イエス・キリストの後半部「贖罪、復活、昇天、執成(とりなし)」について学びます。
「・・・又聖書に示すとおり、十字架上にわたしたちの罪の犠牲として死なれたことを信じる。そして主は死より肉体を持って復活し、天にのぼり、今は高きところにいます大能者の右に座している大祭司及び助け主であることを信じる。」
キリストの死と復活は、キリスト教信仰の中軸です。私たちは、この出来事が歴史の中で起こった事を、そのまま信じます。ある人々は、それはフィクションで、心の中で感動すればよしと主張する場合があります。しかし、それでは私たちの罪も残るし、私たちの復活の希望も空しくなります。キリストの現実の死と復活によって、私たちは罪の赦しと強い復活の希望を持つことができるのです。
キリストの昇天と執成についてローマ8: 34に次のようにあります。「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」ここで明らかにされていることは、キリストが昇天して神の右の座にあり、そこでの執り成しにより、贖いの効力が発揮されると言うことです。
また「聖書が示すとおり」とありました。ここに福音自由教会の信仰告白の特徴が出ています。私たちは教会の教理としてキリストの贖いと復活等を信じるというだけではなく、さらに大切なことは、聖書が示しているからです。私たちの信仰は、いつでも聖書を源泉としなければなりません。ですから、私たちの信仰は単に、この信仰告白を覚えてよしとされるべきではなく、常に聖書に向かい、聖書によって養われるべきです。
ルカ24:27「イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」とあります。キリストによって聖書を解き明かされて、弟子たちの霊の目は、ようやく開かれたのです。私たちの信仰も彼らと同じです。